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2011年09月2日ブログ

重陽の節句

9月9日は、五節句のひとつ『重陽の節句』です。陰陽五行説では、奇数は良いことを表す陽数、偶数は悪いことを示す陰数と考えます。奇数が重なる日をお祝いしたのが五節句の始まりですが、その中でも最も大きい奇数である「9」が連なった9月9日を“陽が重なる”と書いて『重陽』と定め、大変おめでたい日とされてきました。
節句の名には春の桃、初夏の菖蒲と季節を代表する花が冠され、秋の重陽の節句は『菊の節句』ともいいます。菊といえば晩秋の花というイメージですが、旧暦の9月9日は新暦では10月中頃(今年は10月5日)にあたり、まさに菊の花の盛り。菊には翁草、齢草、千代見草の別名があり、古代中国では、菊は邪気を祓い、不老長寿の妙薬とされており、この日は菊の香りを移した「菊酒」を飲むという風習がありました。
日本へは平安時代初期に伝わり、宮中では「観菊の宴」が催されました。また前日に菊の花に真綿を被せ、当日の朝、菊の香りと露が移ったその真綿で顔や身体を拭って無病息災を祈る風流な行事もありました。これを「菊の着せ綿」といいます。
重陽の節句の行事は時代とともに貴族から武士、庶民へと広がっていき、江戸時代までは五節句の最後を締めくくる節句として、最も盛んに祝われたようですが、新暦に替わって季節感が合わなくなったせいか、次第に影が薄くなっていきました。
しかし、京都の上賀茂神社では、本殿に菊花を供え無病息災を祈願する「重陽神事」が現在でも行われていますし、菅原道真を偲ぶ太宰府天満宮の「秋思祭」も、重陽の節句の翌日に催された後宴に関係があります。また、「長崎くんち」の「くんち」は、旧暦の重陽の節句に行ったため、「九日」が語源であるという説が有力です。
平安時代の重陽の節句の行事である「菊合わせ」は、今も菊花競技会や菊人形に名残を残していますね

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