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2013年03月1日ブログ

桃の節句

3月3日は『桃の節句』。『上巳(じょうし/じょうみ)の節供』とも言います。
元々「上巳」とは陰暦3月の最初の巳(み)の日のことで、古代中国ではこの日に川で身を浄めて邪気やけがれを祓う習慣がありました。これが平安時代に日本に伝えられると、宮中行事として曲水の宴を催したり、禊(みそぎ)の神事と結びついて紙や草で作った人形に自分のけがれを移して川や海へ流したりするようになります。今でも「流し雛」の風習として残っている地域がありますね。この行事が、後に宮中や貴族の子女が紙の人形で遊ぶ「雛(ひいな)遊び」と結びつき、男女一対の雛人形に厄を引き受けてもらい、子どもの健やかな成長を願うようになりました。これが雛祭りのルーツです。
やがて人形作りの技術が向上するにつれて立派な雛人形が作られるようになると、雛人形は流すものから飾るものへと変化していきます。1629年に京都御所で日本最初の盛大な雛祭りが催されると、武士階級や裕福な商家にも広まっていきました。当初は「端午の節句」とともに男女の別なく行われていた桃の節句ですが、この頃から華麗な雛人形は女の子に属するものとされ、これに対し端午の節句(菖蒲の節句)は「尚武」にかけて男の子の節句とされるようになりました。
現在のように、ひな壇に豪華な飾りを施すようになったのは江戸時代の中期からです。次第に雛人形はその家の財力を示すものとして豪華さを増していくようになり、贅沢を警戒する江戸幕府によって人形の大きさは八寸(約24センチ)までと決められたこともあったほどです。自慢の雛人形を見せ合う「雛合わせ」や、ご馳走を持って親戚を訪ねる「雛の使い」なども流行しました。
雛飾りには三色のひし餅が飾られますが、赤は桃の花を、白は清らかさを意味する雪を、緑は生命力に溢れる若草をそれぞれ表わしています。
「桃の節句」と言われるのは、桃の咲く時期であるというだけでなく、桃が邪気を祓う神聖な木と考えられていたからです。
ちなみに、邪気の象徴である鬼を、桃から生まれた桃太郎が退治する民話は、この思想からきているそうです。

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